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BLOG今回は新しい猫伝染性腹膜炎(FIP)の治療薬として選択肢にあがってきたモルヌピラビルについて書きます。
なお、FIPに対する治療は日々情報が集積され治療方針が構築される過程にあります。ですので常に情報はアップデートされているため、時間がある時に加筆修正していきたいと思いますのでご了承ください。
要点を最初に書きますと、
・飲み薬(粉)を3ヶ月くらい飲み続ける
・これまでの治療法に比べて安価(2〜3割程度?)
・人のコロナウイルス治療薬で猫に長期に飲ませて問題がないかは不明。また薬を扱う飼い主への影響も不明。
・他に良好な治療成績が蓄積された治療法がある。ただしそれはモルヌピラビルよりもだいぶ高額。
・GS-441524などを用いた治療を第一選択と考えるべきであるため注意が必要
では、興味のある方は読んでみてください。
はじめに
猫伝染性腹膜炎(以下FIP)はFIPウイルスによる猫の感染症です。一度発症してしまうと助けることが非常に難しい病気(以前は致死率ほぼ100%と言われていました)と言われています。そして残念なことに、FIPの治療を目的とした動物用医薬品として承認されているものは存在しませんでした(現在海外でGS-441524錠が動物用医薬品として承認されています)。しかしこの病気を克服するために効果が報告されているものが徐々に明らかになりました。今回はその中の一つ、比較的新しい薬であるモルヌピラビルについて少しお話しします。
猫伝染性腹膜炎(FIP)とは
FIPウイルスは猫コロナウイルスと呼ばれるウイルスの変異によって生じます。この猫コロナウイルス自体は猫にとって珍しいものではなく、感染しても無症状あるいは軽度の消化器症状のみの場合が多いですが、これがFIPウイルスに変異して発症すると猫に様々な症状を引き起こし致死性の感染症となりうるのです。
症状は?
一般的に抗菌薬に反応しない発熱や、元気消失、食欲不振などが見られることがあります。
また大きく2つのタイプに分類され、ウェットタイプ(滲出型)、ドライタイプ(非滲出型)と呼ばれます。ウェットタイプは特徴的な胸水や腹水が溜まるもので、胸水によって肺を圧迫して呼吸困難を起こしたり、腹囲膨満など見た目の変化が見られたりすることがあります。
一方ドライタイプは体の様々な臓器に肉芽腫と呼ばれるしこりを作ったり、神経症状や目の症状を引き起こしたりします。
このように、FIPの症状は非常に多岐にわたります。
診断は?
前述のように、FIPの症状は様々であるため、その診断は非常に難しいです。年齢や飼育環境、症状、各種検査の内容から総合的に判断します。胸水や腹水が溜まるウェットタイプは胸水腹水検査で特徴的な結果(細胞数が少ない高比重な滲出液)を示すため比較的診断がしやすく、胸水や腹水が見られないドライタイプは診断がつけづらいことが特徴です。
ドライタイプの診断では、肉芽腫を認める場合はこの細胞を針吸引し検査センターに提出して遺伝子検査して変異型の遺伝子を検出することで診断の参考にすることができます。(ウェットタイプの胸水や腹水でもこの検査はできますが、感度が低いことやそもそも特徴的な胸腹水の所見から実施するかは検討の上になります)
FIP治療薬としての新しい選択肢、モルヌピラビルについて
モルヌピラビルは、世界的パンデミックを引き起こした新型コロナウイルス感染症の原因ウイルス、SARS-CoV-2に効果を持つことが知られた人体薬です。モルヌピラビルは、ウイルスのRNA依存性RNAポリメラーゼに作用することにより、ウイルスRNAの配列に変化を起こし、これによってウイルスの増殖が阻害されます。
FIPの原因ウイルスもコロナウイルスによって引き起こされるため、「猫のFIPに効くのでは?」と試されたところ、「どうやら効くらしい」というレポートが出てモルヌピラビルが注目され、長年猫とその飼い主を苦しめてきたFIPの治療薬として動物病院で使用されるようになりました。
今までの治療やそれらとの違いは?
ある会社がライセンスを持つ試薬がFIPを完治させられると報告されましたが、これは治療薬として販売されませんでした。このライセンスのある試薬を中国の会社が無断で非合法に別成分のサプリメントと偽り、治療サプリメントとして非常に高額で流通させる事態となりました。またさらに模倣品や擬似薬が出回りました。
これらに関しては、非常に大きな倫理上の不安と安全性への懸念もあるため当院では導入を見送っていました。
モルヌピラビルは日本でも特例承認された人体用の正規の医薬品であること、また今までの薬よりはかなり安く使用できることから、取扱を始めました。
ただしその後検討が進められ、これまでにFIPの標準的治療とされるものとして、GS−441524皮下注射プロトコル、レムデシビル注射単独プロトコル、レムデシビル注射+GS-441524経口投与プロトコル、GS-441524経口投与単独プロトコルなどの方法が報告されており、モルヌピラビルを用いた治療よりも良好な治療成績が期待されます。
当院での使用実感(2025年1月末時点)
まず現在モルヌピラビルによるFIP治療例は全国でかなりの数におよんでいると予想され、それらを統計学的に集計したデータが論文ベースでも示されるようになっており、今後もより詳細なデータが示されていくと予想されます。裏付けのある情報としてはそれらを参照する必要があります。
参考程度として当院のおおまかな使用実感を示しますが、2025年1月末日現在、モルヌピラビルをFIPと診断もしくはFIP以外は考えにくい症例に対して、40症例ほどに使用しました。投与量はFIPのタイプや状況により報告されている使用量で調整して用いました。
当院での治癒率は75〜80%といった印象で、当初にあまり状態が悪い場合に効かないパターン、当初は効いたが使用開始後1〜3週で効かなくなるパターンを複数経験しています。3〜4週間順調に効いて改善した場合に、治療中の再発および治療終了後の再発は経験していません。順調に改善した例では基本的に1日2回84日間を投与期間としました。
モルヌピラビル用いたFIP治療について当院の方針
FIPは疑っても確定診断しづらいことが多い病気です。また来院時の状態がすでに重篤であることも多い病気です。そのため当院では正確かつスピーディーな検査と診断が何より重要と考えています。モルヌピラビルについてはFIPの治療薬として認可ある動物用医薬品ではないということ、比較的新しい薬でその治療計画や副作用の問題など不明点が多く、治療法として確立されていないことなどの注意点をお話しした上で、その使用について飼い主様とよく相談して決めていきます。現状ではGS-441524の内服薬もしくは注射薬(GS-441524皮下注射・レムデシビル)を使用した治療を第一選択、モルヌピラビルを使用したFIP治療は第2選択と考えています。
当院では2025年3月からGS-441524を内服薬として用いる治療をスタートしました。治療費はモルヌピラビルの場合に比べ3倍ほどかかりますが、飼い主様と相談の上決定します。
最後に
モルヌピラビルの登場は、これまでの「高額だからFIP治療を諦める=死を待つ」という状況を、「モルヌピラビルでFIP治療にチャレンジする」という選択肢を与えてくれました。
しかし、当院でも経験する「当初は効いたのに効かなくなった」という事例はFIPウイルスのモルヌピラビルへの耐性獲得の可能性があるため非常に懸念される点です。よってより良好な治療成績が報告されている薬剤が他にある以上、モルヌピラビルは現状でFIP治療の第一選択になる薬剤とは言えません。金額的な制約があり第一選択薬を選択するのが困難な場合や、GS-441524やレムデシビル治療に抵抗を示したFIP症例に使用する位置付けとして理解する必要がありそうです。
不明・不安点がありましたらお気軽にご相談ください。ただし、来院を前提としないお電話でのご相談はお受けすることはできませんのでご了承ください。
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